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名人伝/中島敦のあらすじと読書感想文

2013年7月16日 竹内みちまろ 参照回数:

名人伝のあらすじ


 中国の戦国時代、覇権を争った諸侯国のひとつ「趙」の都・邯鄲(かんたん)に、紀昌(きしょう)という男がいました。天下一の弓の名人になろうと志を立て、第一の名手といわれる飛衛(ひえい)を尋ねて弟子になります。

 飛衛はまず、瞬きをしないことを学べと教えました。紀昌は家に帰り、妻の機織台の下にもぐり込みます。眼の上すれすれで機が織られる様子を瞬きをせずに見つめました。2年後、火の粉が眼に入ろうとも目をつぶらず、目を見開いたまま熟睡するようになりました。一匹の蜘蛛がまつ毛とまつ毛の間に巣を作るに及んで、ようやく自信を得た紀昌は、飛衛に修行の成果を報告しました。

 飛衛は、瞬きをしないだけでは技を伝授するには不足なので、視ることを学べと告げます。小を視ること大のごとく、微を見ること著のごとく(明らか)になったら、来て報告せよ、と命じました。紀昌は家に帰り、シラミを髪の毛で繋ぎ、終日、睨み暮らします。10日余り過ぎると、一匹のシラミがほんの少し大きく見え始めます。シラミを睨み続けて3年が過ぎたある日、ふと窓のシラミが馬のように見えました。外に出ると、馬が山のように見えました。しめたと思った紀昌は、窓際に戻って矢を放つと、見事にシラミの心臓を貫きました。

 飛衛から紀昌への射術の奥義秘伝の伝授が始まります。目の基礎訓練に5年をかけただけあって、上達は早く、ひと月で、百本の矢の速射をしたら、まず第一の矢が的に刺さり、続く矢が次々と前の矢の後ろに命中し、百本の矢が1本の矢のごとく連なりました。2か月後には、妻とけんかをしたさい、早業で妻のまつ毛を射切りましたが、妻は射られたことにさえ気づかず、悪態をつき続けていました。

 もはや飛衛から学ぶべきものはないと感じた紀昌は、ふと、飛衛がいる限り、天下第一の名手にはなれないと考えました。飛衛を襲う機会をうかがうようになり、郊外の誰もいない野で向こうから歩いてくる飛衛と出遭いました。とっさに意を決した紀昌は、矢は放ちます。気配を感じて応戦した飛衛も矢を放ちます。2人の矢は、お互いの真ん中で命中し合い、地に落ちました。決着がつかないまま、飛衛の矢が尽きて、紀昌が1本だけ残っていた矢を放った際、飛衛は野茨のトゲの先端で矢をたたき落としました。

 紀昌の心には、成功したなら起こらなかったであろう道義的悔恨の思いが沸き上がり、飛衛の心からは安堵と自分の技に対する満足で憎しみがなくなりました。2人は駆け寄り、抱き合って泣きました。抱擁しつつも、同じような目に遭ったらたまらないと考えた飛衛は、紀昌の気持ちを新たな目標へ向けさせるため、西の方角にある険しい太行山脈へ行き、霍山の頂上にいる、古今に例を見ない射術の大家・甘よう老師を尋ねよと告げます。

 西へ向かい、山頂に立った紀昌は、腰の曲がった白髪の老人を見ます。来意を告げ、渡り鳥を射落とすと、老師は「一通りはできるようじゃな」と微妙しますが、今の技は所詮は「射之射(しゃのしゃ)」というもの、お前はいまだ「不射之射(ふしゃのしゃ)」を知らないと告げます。紀昌は腹を立てますが、老師は、足元の石がぐらつく絶壁の上に紀昌を誘い、先ほどの技を見せてくれぬか、と告げます。紀昌が石の上に立つと小石が転がり落ち、紀昌は石の上に伏してしまいました。今度は老師が石の上に立ちます。ただ、老師は、弓も、矢も持っていません。しかし、老師は、見えざる矢を、無形の弓につがえ、ひょうと放ちます。トンビが羽ばたきもせず、一直線に落ちてきました。慄然とした紀昌は、初めて、芸の道の深淵を覗き込んだ心地がしました。9年の間、紀昌は老師の元に留まりました。その間、どのような修行が行われたのかは、誰にもわかりません。

 9年後に山から下りてきた紀昌の顔つきは、無表情で、以前の負けず嫌いの精悍な面構えはありませんでした。人々は驚きましたが、飛衛は、「これでこそ初めて天下の名人だ。我らのごとき、足下にも及ぶものでない」と叫びました。

 しかし、天下一の弓の名人となって戻ってきた紀昌はいっこうに、妙技を見せようとしません。物憂げに、「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」と告げます。邯鄲の人々はすぐに合点し、弓を執らざる弓の名人は彼らの誇りになりました。

 様々な噂が伝えられるようになります。ある者は、深夜を過ぎたころ、紀昌の家の屋根の上で、紀昌が寝ている間に紀昌の体から抜け出てきた射道の神が妖魔を払うべく弓弦を鳴らす、といいます。紀昌の家に忍び入ろうとした盗賊は、塀に足を掛けたとたん、額を殺気で射られ、転落したといいます。

 甘たん老師の元を去ってから40年後、紀昌は静かに世を去りました。その間、弓のことを口にすることがありませんでした。紀昌の射技に関する逸話はひとつもなく、ただ、以下のような話が残っているといいます。

 紀昌が死ぬ1、2年前のある日、老いた紀昌が知人の家に行くと、ひとつの器具を見ました。見覚えのある器具ですが、どうしても名前が思い出せないし、用途もわかりません。紀昌は、家の主人に器具の名前と用途を尋ねました。冗談かと持った主人も、紀昌がまじめな顔で聞き直す様を見て、「古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」と、叫びました。その後しばらく、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は弦を断ち、工匠は定規などを手にすることを恥じたといいます。

名人伝の読書感想文


 「名人伝」は、読み終えて、道を極めることの意義を感じました。山から下りてきた紀昌は、射について語らず、弓を忘れ果ててしまったことにより、道を極めたことを証明していました。紀昌が辿り着いた技の世界や、紀昌というひとりの人間が芸道を極めたという現象は、画家や、楽人や、工匠たちを、商売道具を手に取らすことを恥じさせるほどの境地に関することでした。ひとつの道を極めるということは、言葉では説明のできない現象なのかもしれません。

 ただ、画家や、楽人や、工匠たちは、なぜ、商売道具を手に取ることを恥じたのだろうと思いました。技を人に見せたり、技で人を楽しませたり、作品を完成させて後世に残すことに意義や使命感を感じているのなら、さらに腕を磨けばよいような気がします。しかし、楽人は、しばらくの間、楽器を奏でることをやめてしまいました。

 技や、芸や、作品は、誰のためにあるのだろうと考えました。それらが、人や世の中のためにあるならば、披露したり、残したりすることが必要になると思います。また、自分自身の満足のためであれば、自分で見届けて覚えていたり、人から評価してもらうことが必須になります。芸道というものを、神や自然など人知を越えたものへの捧げ物と見なし、生活習慣・自然観念・生き様に直結するものと考えてしまうと話が別の方向へ進んでいきますが、少なくとも、紀昌にとっては、射技は、神や自然やお天道様のためにあるものではないような気がします。そして、紀昌は、弓の名前さえ忘れてしまいました。

 恥を感じる心というものは尊敬に値する心だと思います。ただ、恥という観念は極めて人間的な観念でもあります。紀昌は、最強の武将になりたくて弓を極めたのではなく、比類無き弓の名人になりたくて、弓技の境地に辿り着きたくて、射道を極めました。紀昌にとっては、弓は、手段ではなく、目的そのものでした。だから、道を極めたあとは、弓は、必要なくなったのかもしれません。絵でも、音楽でも、工芸でも、弓でも、何でもかまわないのですが、道を極めるということは、道を極めることそのものへの純粋なあこがれや、疑いなき真っ直ぐな心が必要なのかもしれないと思いました。


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