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刺青/谷崎潤一郎のあらすじと読書感想文

2008年3月31日 竹内みちまろ 参照回数:


 「刺青」は、「それはまだ人々が「愚(おろか)」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋(きし)み合わない時分であった」という文から始まります。太平の世で、町人文化が退廃的に咲き乱れたころの話のようです。鎖国により世界から取り残されていた人々は、人生の意義や世の中の流れなどというこむずかしい命題とは無縁の生活をしていたようです。谷崎潤一郎も「世間がのんびりして居た時分」と書いており、「芝居でも草双紙でも、美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった」と書いていました。人々はこぞって美しさを競い合い、体に刺青を彫るようになったそうです。

 「刺青」は、刺青師の男の物語でした。浮世絵師くずれだったために、絵心があるようです。人々は、男の美しい刺青にあこがれましたが、偏屈な男は、気に入った体と肌を持つ者にしか刺青をほどこしませんでした。構図と費用には口出しをさせずに、耐え難い苦痛にうめく客を「さぞお痛みでがしょうなあ」と薄ら笑いを浮かべて心地良さそうに見つめるそうです。谷崎潤一郎は、「この若い刺青師の心には、人知らぬ快楽と宿願とが潜んで居た」と書きます。「刺青」は、人の体に刺青を彫ることに快楽を覚える男の宿願の物語でした。

 男のもとに一人の娘が使いにやって来ることで物語は展開します。男は、その娘こそが、長年に渡り追い求めていた肌と魔性を持つことを確信します。男は、巻物を取り出して、娘に見せました。暴君として名を残した古代中国の皇帝の寵妃を描いた作品でした。妃の目の前には、処刑されようとしている男がうなだれています。妃は、泰然として、処刑を眺めています。男は、絵を見つめる娘の顔がだんだんと妃の顔に似てくるのを見てとります。

「この絵にはお前の心が映って居るぞ」

 男は、気持ち良さそうに笑い声をあげます。男は、うろたえる娘の前に、さらにもう一巻の絵を見せます。「肥料」と名づけられた作品です。いくさの後でしょうか、「肥料」には、男たちの屍が累々と描かれており、そんなむくろの山を瞳に喜びをあふれさせた女が見つめている構図でした。

「これはお前の未来を絵に現したのだ」

 娘は、畳の上に伏してしまいましたが、唇をわななかせます。

「親方、白状します。私はお前さんのお察しの通り、その絵の女のような性分を持って居ます」

 男は、薬をかがせます。娘は、気を失いました。「刺青」は、そんな男が、娘の背中に、女郎蜘蛛を彫る物語でした。

 皮膚の一枚下にある魔性を見抜かれた娘は、男にそれを彫り起こされました。「美しくさえなるのなら、どんなにでも辛抱して見せましょうよ」とほほ笑んで激しい苦痛に耐えた後には、娘は、もう瞳を妖艶に輝かせる女に生まれ変わっていました。ラスト・シーンで、女が刺青師の男に、死体を見つめるような視線を向けた後に、だまって服を脱いで背中を見せる場面がありました。刺青というものは本来の姿を覆い隠してしまう装飾なのかもしれないと思っていました。ただ、「刺青」を読み終えて、たとえありのままの姿ではあっても、本性を隠して生活することのほうが、仮面をかぶったままであり続けるような装飾にはならないだろうかと思いました。男の宿願、女の本性、男がそれを見抜いて掘り起こした後には、主従が逆転して、女が「親方、私はもう今迄のような臆病な心を、さらりと捨ててしまいました。――お前さんは真先に私の肥料(こやし)になったんだねえ」と告げていました。「刺青」は、女の本性を掘り起こすという宿願を果たした男が、掘り起こされた女の本性の中に、自分のほんとうの宿願を見た物語だと思いました。

 「刺青」の中でうまいなあと思った表現に、「鋭い彼の眼には、人間の足はその顔と同じように複雑な表情を持って映った」という文がありました。刺青師の男が駕籠のすだれからはみ出していた娘の素足をかいま見た場面でした。いわゆる、運命の出会いというやつですが、違和感もうそ臭さもなくて、すらっと頭の中に入ってきました。「彼の眼には」ではなくて、「『鋭い』彼の眼には」と書かれていたので、男が常人とは違った眼力を持っていることがさりげなく説明されています。また、足が顔と同じような表情を持っていたということを、客観的な現象として描くことはしないで、あくまでも、男の眼にはそう「映った」という描写に留めていました。ここでも、冒頭で「鋭い」という言葉を付け加えておいて、読者の頭の中に、男が常人とは違うことを印象づけておいた効果が表れていると思いました。細かいことですが、「彼の眼には」とはしないで、「『鋭い』彼の眼には」と書くところが大作家の文章なのかなと思いました。

 技術的なことにはなるのですが、情報や説明の提示の方法に注力して小説を読むと、うまいなあと思うことがあります。『永遠の1/2』(佐藤正午)には、「妹の地図をそれほど頼ることもなく捜しあてることができたのは、その辺りが、前の会社に勤めていたとき、ぼくの配達区域だったからである」という文がありました。谷崎潤一郎のようなさりげなさは無くて、そのまんま説明になってしまってはいますが、読者に余計な疑問を起こさせないで、物語に集中させる効果があると思いました。また、翻訳にはなってしまいますが、『ぼくは怖くない』(ニコロ・アンマニーティ/荒瀬ゆこみ訳)には、「パパがトラックの帆を結わえるときみたいに、結び目を三つ作った」という文がありました。小学校の中学年くらいの少年が地下に降りて、監禁されていた少年に会いに行く場面でした。小学生が一人で、大人でもそうとうに難しいと思われることができるのかという読者のつっこみを、あらかじめに、少年はトラックの運転手である父親の姿をいつも見ていたので、ふつうの子どもにはできなくても、この少年にはロープを巧みに使いこなすことができたのだと回避しておくための記述だと思いました。結果として、読者は、つっかえることなくして物語世界を受け止めて、主人公や語り手といっしょになってその中を歩くことができます。

 技術だけが全てではありませんが、広く読者の心をとらえている作品は、中身だけではなくて、技術においても、優れているのだなと思いました。


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