本文へスキップ

羊と鋼の森/宮下奈都のあらすじと読書感想文

2016年5月19日 竹内みちまろ 参照回数:

羊と鋼の森のあらすじ


 北海道の高校2年生の外村(とむら)は、教師に頼まれて、江藤楽器のピアノ調律師・板鳥宗一郎を、グランドピアノがある体育館まで案内した。

 外村が体育館から出て行こうとすると、ピアノの音が響いた。板鳥が調律を始めたのだ。外村は、それがピアノの音だとは分かっていても、何か別の音のように感じた。外村は、ピアノの所に戻り、2時間あまり、ピアノの調律を見続けた。

 高校卒業後、本州の専門学校で調律を学んだ外村は、江藤楽器に就職した。江藤楽器は10名ばかりの小さな店で、調律師は4名。レッスン用の個室や、発表会用の小ホールもあり、店の6台のピアノは、それを使って調律の練習をしてもよいことになっていた。

 入社して5か月が過ぎた頃、外村は、7年先輩の柳に同行して顧客の佐倉宅に行き、調律を見学することができた。柳の調律は2時間ほどで終わり、柳が確認を促すと、高校生の和音(かずね)がピアノを弾き始めた。

 和音が奏でる音色は美しく、外村は、耳から首筋にかけて鳥肌が立った。和音は、「ありがとうございます。いいと思います」というも、もうすぐ妹の由仁(ゆに)が帰って来るので待ってほしいと告げた。ほどなく帰宅した由仁は、色彩に溢れたいきいきとしたピノを弾いたが、「もう少しだけ明るい感じの音にしていただきたいんです」と頼み、柳が調整した。

 柳は由仁のピアノを「情熱的でいいじゃないか」などと絶賛し、一方で、和音のピアノを「普通のピアノだったじゃない」と評した。外村は、和音のピアノは「普通じゃなかった。明らかに、特別だった」と感じていた。由仁のピアノには勢いと彩りを感じていたので、あれ以上の明るさを欲しがる理由が分からなかった。

 外村は、由仁は自分のピアノの音も和音のピアノの音も知っており、和音の静謐なピアノのために、由仁は明るい音を望んだのかもしれないと思った。

 ある日の夕暮れ、外村が社用車に乗って江藤楽器に向かっていた際、信号待ちで止まっていると、横断歩道を渡る高校の制服を着た由仁と目が合った。外村は、由仁から、ピアノのラの音が出なくなったことと、江藤楽器に電話をしたら、柳が仕事で立て込んでいて今日はいけないと言われたことを告げられた。柳は恋人に指輪を渡すことになっていた。

 外村は、電話で先輩社員に確認し、由仁を助手席に乗せて、佐倉家を訪れた。鍵盤とハンマーを繋げるフレンジを調整してピアノを元に戻した。

 和音と由仁は喜んだが、帰ろうとする外村に、2人は、「乾燥のせいでしょうか、いつもより少し全体的に音程が上がっているような気がするんです」、「微妙に気持ち悪い感じがします」と告げた。外村は「触るとしても、僕じゃない。柳さんだ」と思ったが、2人の演奏を聴いて胸が熱くなってしまっており、「できるんじゃないか。微妙なずれだけを直せばいい。ふたごがもっと気持ちよくピアノを弾けるように」と自分に言い聞かせ、調律を始めた。

 外村は、ピアノを調律することができず、やればやるほど音がずれていった。たまたま柳から電話がかかってきたため事情を話し、翌日、柳が調律し直すことになった。

 外村が2人に謝ると、由仁は鍵盤を叩いてラの音を響かせ、「この音、すごくいいでしょう」、「それで、そこに合わせようとした。ほら、この音もいい」といい、「やろうとしていること、すごくわかったんです」、「たぶん、もうちょっと、ほんのちょっとの何かなんだど思います」と外村に告げた。和音も「これくらい挑戦してる音、私も好きです」と外村に声を掛けた。

 佐倉家のピアノの一件があった後、外村は、板鳥に「どんな音を目指していますか」と尋ねた。板鳥は、作家の原民喜の「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」という言葉を引用し、「私の理想とする音をそのまま表してくれていると感じました」と外村に答えた。

 外村が調律に失敗してから、親しみを感じたのか、ときどき、和音と由仁が江藤楽器に顔を出すようになった。

 外村は再び、板鳥の調律を見学する機会に恵まれた。ドイツから、巨匠とも、魔術師とも称されるピアニストが来日しており、板鳥が指名されたのだ。板鳥が鍵盤を鳴らし始めると、外村の心臓が高鳴り、何かとてつもないものが近づいてくる予感がした。なだらかな山が見え始め、それが生まれ育った家から見えていた風景だと気づく。外村は「神様というのか、目印というのか。この音を求めていたのだ」と思った。

「この音があれば生きていける、とさえ思う」、「この美しい音に導かれて僕は歩く」といい、「目印を探して歩いていけるということは、僕も神様を知っているということだ」

 佐倉家から、江藤楽器に、ピアノの調律をキャンセルすると電話があった。柳が携帯で電話をすると、母親から、「今は娘がピアノを弾けない状態なのでしばらく調律は見送りたい」と言われた。

 由仁が店に現れて、「おかしな病気なんですって」、「他に支障はないのに、ピアノを弾くときだけ指が動かなくなっちゃうんです」などと告げた。由仁は、落ち込んでいるものの、「まあだいじょうぶで、復活しつつあって、だからこうして報告に来たんです」と告げた。

 そして、由仁は、「それより、今日はちょっと相談があって来ました」といい、病気があって以来、和音がピアノの部屋にも入ろうとしないことを口にした。外村は、ピアノを弾けなくなったのが由仁であることを知った。由仁は「私が弾けなくなったぶんまで和音が弾かなくちゃいけないんです。それなのに」と告げた。

 佐倉家から、ピアノの調律の依頼があり、外村と柳が向かった。柳は、ピアノを以前と同じように調律した。由仁は「あのう、私達は前と同じじゃないですけど」と不服そうに口にし、「外村さんはどう思いますか」と尋ねた。外村は「弾いてもらわないと、わかりません。試しに弾いてみてもらえますか」と口にした。

 和音は毅然とした居住まいでピアノの前に座り、演奏を始めた。外村は短い曲の中に和音の決意を感じた。弾き終わると、和音は「心配かけてごめんなさい」、「私、ピアノを始めることにした」と口にした。母親が「ピアノで食べていける人なんてひと握りの人だけよ」といさめると、和音は、静かに微笑んでいるような顔で、「ピアノで食べていこうなんて思ってない」、「ピアノを食べて生きていくんだよ」と答えた。

 柳の結婚披露パーティで、和音がピアノを弾き、外村がピアノを調律することになった。外村は、パーティの前日に、4時間かけてピアノを調律した。早朝の人のいないリハーサルでは完璧だったものの、ホールでスタッフが作業を始めると音にキレがなくなった。家庭のピアノの調律しかしたことがなかった外村は、環境を考慮していなかったことに気が付いた。由仁にも協力してもらい、外村はピアノを調律し直した。

 パーティでは、和音は若草色のドレスを着てピアノを弾いた。経験豊富な先輩調律師の秋野は、「ピアノ、いいんじゃない?」と初めて外村を褒めた。外村は、自分よりの腕のいい調律師がいれば、その人がピアノを調律した方がよいと思っていたが、今は、自分が和音のピアノを調律したい、調律することで和音のピアノをもっとよくしたいと思った。「和音さんは絶対にいいピアニストになります」と信じる外村は、以前はコンサートチューナーを目指さないと思っていたが、それではだめなのだと思った。

PR


羊と鋼の森の読書感想文


 「羊と鋼の森」を読み終えて、体で感じて生きている人の強さとでもいうものを感じました。

 外村が、祖母が危篤との知らせを受けて実家に戻る場面がありました。外村は、祖母の臨終には間に合いませんでしたが、久しぶりに弟と話をし、弟から、「忘れた? ピアノの音は世界とつながってるって熱く語ったじゃないか。世界なんて普通言わないよね。俺はまだ世界を見たことがない」、「ばあちゃんが言ってたよ。ピアノのことも音楽のこともわからないけど、あの子は小さい頃から森が好きで、迷っても必ずひとりで帰ってきたから、きっとだいじょうぶだって」などと声を掛けられます。

 兄弟が生まれ育った家は、放牧が盛んな山の土地で、子どもたちは中学を卒業すると、高校に進学したりするため故郷を離れて町に出ていくという場所にありました。ただ、外村は、何もない場所で育ったわけではなく、森があり、山があり、そして、開拓や入植の歴史を背負った先代たちの歴史と、それを受け継いで、しっかりと次の世代を見守っている大人たちの中で育ったのだと思いました。

 そんな外村はピアノの調律に出会い、音に魅了されます。のちに板鳥たちが目を見張った和音のピアノの本質を、一度聞いただけで確信していました。

 外村の人生は、高校まで何もなく過ごし、専門学校で2年間、ピアノの調律を学び、江藤楽器に入社してピアノ調律師になったという、見方によっては、素朴な職人のひとつの人生かもしれません。しかし、外村はこれからも、辿り着きたいと願う音を追い求め、そんな外村の周りにはたくさんの人が集まり、多くの出会いを経験していくのだと思います。

 それは、外村が人生を掛けて追い求めるものを感じることができていて、かつ、純粋にそれを追い求めているからだと思いました。

 偏差値の高い学校に進学するために勉強することも、大きな会社に就職することも、勝ち残るために自分を磨くことも、収入を増やすために資格を取得することも、これからの世の中は何が流行るのかと知性を研ぎ澄ますことも、それはそれで悪いことではないと思います。ただ、逆に言えば、外村のように思い求めたいものがある人間にとっては、それらは不要なことといいますか、そもそも、何かを追い求めている人間は、自分が追い求めるものに夢中で、そういったことを考えることをしないのかもしれないと思いました。

 「羊と鋼の森」に描かれていた外村の人生は輝いているように見えました。外村の人生が輝いて見えたのは、生きるということを頭で考えている人間の人生ではなく、衝動に動かされ、本能で感じて生きている人間の人生だからだと思いました。

 「羊と鋼の森」を読み終えて、外村の人生に芯が通った強さのようなものを感じました。そして、人間がよく生きる、とはどういった現象なのかを考えさせられました。


ミニシアター通信

PR


運営会社

株式会社ミニシアター通信

〒144-0035
東京都大田区南蒲田2-14-16-202
TEL.03-5710-1903
FAX.03-4496-4960
→ about us (問い合わせ) 



ミニシアター通信