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M/Tと森のフシギの物語/大江健三郎のあらすじと読書感想文

2005年12月23日 竹内みちまろ 参照回数:


 「M/Tと森のフシギの物語」は、「僕」の一人称によって語られる小説です。語られる内容は、「僕」が少年のころに聞いた物語です。「僕」は、四国の森の中にある谷間の村で育ちます。祖母や村の老人から、村の起源に関する昔話を聞かされて育ちます。昔話は、城下町から若者たちが追放されることからはじまります。無法者の若者たちに海賊の娘たちが付き添って、藩にも知られることのない山奥に、自分たちの住処を作りあげます。

 村に伝わる言い伝えの物語が、本書の内容になっていきます。昔話の内容は、神話の世界の出来事のようでした。「壊す人」と呼ばれた若者のリーダーが巨人化したり、人知を超越した存在になってしまった「壊す人」を村の老人たちが殺害したり、「壊す人」に寄り添った海賊の棟梁の娘が「復古運動」を指導して村の家々を焼き払っていたりします。

 「僕」は、そんな言い伝えを「神話」の時代と呼んでいました。「僕」は、「神話」の時代の出来事を信じて疑わない祖母の口調をそのままに引用したり、少年のころに寺で地獄絵図を見たときの記憶を呼び起こして絵図に描かれた亡者どもに神話の一編を垣間見たり、引き回した山車を炎上させてしまう秋祭りに「総放火」の名残を感じたりします。そして、山車への放火に象徴されるような行為が確かに「神話」の時代には行われて、それが、疲弊した田畑を回復させて、豊かな実りを村人たちにもたらしたのではないかと想像します。小説の中では、「僕」は、昔話の聞き手という役割を持っています。同時に、小説の構造に目を向けてみると、「僕」は、受け継いだ物語を、自らが見聞きした体験をとおして消化した上で語るという構造になります。読者には、「僕」というフィルターをとおして、村に伝わる物語が提示されます。「僕」は、読者にとっては、語り手の役割も担っているように感じました。

 本書には、「語り方の問題」という、あとがきとも言える文章が添付されていました。その中で、著者は、「自分にとって、小説とはなにか、書くとはどういうことか、と考えつめることは、つまり小説の叙法、語り方を発見するためだった」と書いていました。とても興味深い内容でした。あとがきを読み終えてから、「M/Tと森のフシギの物語」をぱらぱらと最初からめくってみました。読者を迷わせない誘導をしながらも、谷間の村の物語は、時系列など関係なしに、明治政府の地租改正に村人総出で反旗を翻した「血税一揆」の場面から語り始めたり、「血税一揆」を勝利に導いた6歳の童子が、「僕」や、最後のほうで現れる「僕」の息子と同じ場所に傷を持っていたりします。ストーリーに目を向けると、「村の物語」が、終盤になって「僕の物語」に集約していったように感じました。一読しただけでは、物語の概要をつかむだけで精一杯でしたが、「語り方」という視点に注目して、本書の構造を分析すると興味深いと思いました。

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「M/Tと森のフシギの物語」のあらすじ


 「M/Tと森のフシギの物語」のあらすじを簡単にご紹介します。「僕」が聞かされた村の物語は、2つのブロックに分けられると思いました。前半は、「神話の時代」です。「壊す人」らが作り上げた村の様子が語られます。森の言葉を話す隠者が登場したり、森が生活空間に侵食してきて井戸を枯らしたり、森の魂となった「壊す人」が村人たちの夢に出てきたりします。腐った森は毒をはらむ一方で、森が村人にとって有害なのは、地の底で土を浄化しているからだというような観念も感じました。「神話の時代」には、「壊す人」、「オーバー」、「シリメ」などが登場します。個人が、役割を象徴する名前で呼ばれていた時代かもしれないと思いました。村は、外界とは、完全に遮断されていました。一つの、ユートピアだろうと思いました。

 そんな村にも変化が訪れました。土佐から脱藩して京に向かう勤王の志士たちが村を訪れるようになりました。四国山脈の原生林を分け入った場所にある村の噂は、口伝えで、志士たちに広まっていきました。村は、「歴史の時代」に突入します。村が「歴史の時代」にはいると、「亀井銘助」という具体的な名前をもった人物が登場しました。でも、村は、日本がどんなに新しい時代を迎えても、自給自足をして独自の規則で運営されるという伝統の上にあり続けました。藩から重税をかけられても、「一揆」で対抗したり、戸籍制度に基づく課税と徴兵で村を掌握しようとする明治国家に対しては、「二重戸籍のカラクリ」で対抗します。生まれたものの二人に一人しか、戸籍に登録しない約束事でした。税金は半分しか払わずに、徴兵されるのも二人に一人で済みました。戦争の末期のころのエピソードは、痛快でした。「二重戸籍のカラクリ」に気が付いた国家が、帝国日本の威信にかけて村人を従わせようと、村に一個中隊を送り込みました。なんと、人びとは、村を要塞と化して、帝国日本の軍隊と戦いはじめました。中隊は、野戦砲まで持ち出します。村人は、独自に入手していた銃や手榴弾で、ゲリラ戦法にでます。戸籍に記帳されていない人びとは、さもそうすることが当然であるかのように、国際法にのっとって日本軍に休戦協定を提案したりします。「僕」には、そんな話を聞いて、村が一つの独立国家のように思えてきたようでした。

 「僕」という語り手をとおして提示された「村の物語」は、そんな痛快なエピソードで締めくくられました。ここまで読み終えたときに、本書の八割が終っていました。ページ数にして、三百四十ページほどありました。「神話の時代」からはじまり、「歴史の時代」にたどり着く「村の物語」は、たっぷりと描かれていて、読み応えがありました。ただ、同時に、「村の物語」は「村の物語」として置いておいて、作家は、けっきょく、「M/Tと森のフシギの物語」という作品で何が言いたいのかというメッセージが見えてこないという不安を感じました。「村の物語」は、興味深くはあるのですが、それだけを提示されても、「ああ、そうですか」で終ってしまうエピソードでもありました。「MTと森のフシギの物語」を作品として完結させる秘密は残りの二割にあるのだろうと思って読み進めました。

神隠し


 残りの二割で語られたのは、「僕の物語」でした。現在に到るまでの村の歩みを語り終えた「僕」は、そこまで読んできた多くの読者と同じように、「だからなんなんだ」という疑問を感じていたことが語られました。「僕」は、今の自分と「村の物語」を結びつけることができないようです。そんな「僕」に変化が訪れることで、「M/Tと森のフシギの物語」はクライマックスを迎えます。八割のページ数を費やして語られてきた「森の物語」は、「僕の物語」に集約していきます。見事なストーリー展開でした。「僕」に変化をもたらしたのは、新しく生まれた息子でした。息子が死期を見据える祖母と心を交わしていく場面は、読み応えがありました。幽玄に包まれた能舞台を見ただけで、何の知識もないはずの人が無意識の領域で受け継いでいた記憶を覚醒させるかのような酩酊観を感じました。息子と祖母の触れ合いを垣間見た「僕」は、なかば忘れてしまっていたある事件を思い出しました。それは、自分が少年のころに「神隠し」にあった経験でした。「僕」は、全ては「神隠し」からはじまったのだと思いました。はじめて、「村の物語」と「僕の物語」を重ね合わせることができました。

 「M/Tと森のフシギの物語」はとても奥の深い物語だと思いました。著者は、著者自身とも思える「僕」のうしろ姿を提示することで物語を終わらせています。そんなうしろ姿から何を感じるのかは、読者によるのだろうと思います。

 私は、「僕」のうしろ姿を見て、人間が生きるとは役割を果たすことなのかもしれないと思いました。そして、そんな役割は、自分ひとりの中にあるのではなくて、自分よりも先に生まれた者たちが残してくれて、自分よりもあとに生まれた者に引き継がれていくものかもしれないと思いました。本書の冒頭から一部分を抜粋すると、「ある人間の生涯を考えるとして、その誕生の時から始めるのじゃなく、そこよりはるか前までさかのぼり、また、かれが死んだ日でしめくくるのでなしに、さらに先へ延ばす仕方で、見取図を書くことは必要です。あるひとりの人間がこの世に生まれ出ることは、単にかれひとりの生と死ということにはとどまらないはずです。かれがふくみこまれている人びとの輪の、大きな翳のなかに生まれてきて、そして死んだあともなんらかの、続いていくものがあるはずだからです」という文章がありました。

 今では、「神隠し」という言葉を聞かなくなりました。しかし、戦争が終ってからもしばらくの間は、人びとは、行方不明者が出たときは、「神隠しにあった」と言って、事件に社会的な整理を付けることで納得をしていたのかもしれません。人びとが、「神隠し」を語らなくなったのは、高度成長がはじまってからと聞いたことがあります。高度成長時代を生きる人びとは、「神隠し」を語らなくなると同時に、あの激しい戦争ですらも破壊することのできなかった生活のしきたりや価値観を、自ら壊していったのかもしれないと思いました。高度成長がバブル崩壊で終焉したあとは、人びとが役割をはたすことを見失ってしまった時代、また、人びとがはたすべき役割を見つけられない時代なのかもしれないと感じることがあります。「M/Tと森のフシギの物語」を読み終えて、ふと、そんなことを考えました。


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