本文へスキップ

ミニシアター通信本&映画 > ぼくは勉強ができない

ぼくは勉強ができない/山田詠美のあらすじと読書感想文

2017年9月14日 20時50分 参照回数:

 「ぼく」こと時田秀美は、少し変わった高校生だ。普通ではない。むしろ「普通であること」や「世間一般に価値があるとされること」を憎んでいる高校生だ。「ぼくは勉強ができない」という物語は、そんな時田秀美が、日常の身近な人やエピソードを取り上げて、感じたことをひとつずつ話していく短編集である。すべてを追うと断片的になるので、あらすじには、印象に残った話を抜き出してまとめてみた。

ぼくは勉強ができない/山田詠美のあらすじ

 ぼく、高校生の時田秀美は、勉強ができない。でも、人気者だから、2位の投票数でクラスの書記に選ばれた。クラス委員を決める時期になると、小学校5年生の時のホームルームを思い出す。転校してきたばかりのぼくは、クラス委員の投票で、伊藤友子の名前を書いた。開票したとたん、担任の教師は「誰だ!伊藤友子の名前を書いた奴は!?」と怒鳴った。伊藤友子は「馬鹿だから」、暗黙の了解で、誰も名前を書かないらしい。でもぼくは、おっとりしていて親切そうな彼女が委員長でもいいと思った。「どうして伊藤さんでは駄目なのですか。勉強ができないからですか?」という質問を、教師は無視した。ぼくは、この時、初めて、大人を見くだすことを覚えた。

 ぼくは、父親の顔も知らない。母親と祖父と3人暮らし。週末には化粧をして、派手なドレスで男と出かけていく母親の浪費癖のせいで、ぼくの家は貧乏だ。祖父は祖父で、散歩の途中で出会うおばあちゃんにしょっ中恋をして、ぼくに相談を持ちかける。こんな環境に育ったぼくが、他人様と同じ価値観を持てるわけがない。けれども、ぼくは自分の家族が大好きだし、日常の小さなことにも満足感を味わえる。たとえば湯船に浸かるたびに、その心地よさを、贅沢だなあ、とぼくは思う。なんということはない、母の冗談めいた言葉に笑いが込み上げてくる時、こんな母親を持ってよかったと思う。

 小春日和の祭日、ぼくと母と祖父は、炬燵でテレビを見ていた。ささやかな幸せの時間。ワイドショウでは、歌手と女優の朝帰りの話、酒乱の夫が妻と子供に殺された話、生まれたばかりの子供を母親が殺した話が報道され、コメンテーターが意見を述べていた。自分の確固たる価値観を持つのは難しい。他人の言葉が与えられることで、ある種の道標を与えられる安心を得る。だからみんな、他人の物事を勝手に分析し、一般的な価値観に沿って、丸かばつかを付けたがる。そうしなければ、不安だからだ。本当の事情なんて当事者にしかわからないのに。

 小さい頃、人々は、ぼくを不幸な子供だと扱いたがった。父親の不在に意味を持たせたがるのは、たいてい、自分は完璧な家族の一員だと自覚している第三者だ。良いことをすれば、父親がいないのにすごいと言い、悪いことをすれば、やはり父親がいないからだということになる。事実は事実でしかないのに。父親がいないという事実に白黒は付けられない。

 翌朝、ぼくは学年主任の佐藤先生に怒鳴られた。学校でうっかり避妊具を落としたらしい。放課後、空き教室で叱られるぼく。成績が悪いのは不純異性交遊のせいだと決めつける佐藤先生。ぼくと、年上の彼女の桃子さんは愛し合っている。その関係を不純異性交遊だなんて、あんまりだ。ぼくの反抗的な態度に、片親の話まで持ち出してきた佐藤先生の襟首を思わずつかんだところで、担任の桜井先生が教室の入り口から声をかけ、助け舟を出した。

 佐藤先生が出て行った後、理解ある桜井先生に思いをぶつけるうち、ぼくは、自分の価値観が、父親がいないという事柄が作り出す、あらゆる世間の定義をぶち壊そうとすることから始まっていると気づく。第三者の発する「やっぱりねえ」という言葉を、昔から憎んでいた。ぼくは世の中の出来事に白黒なんかつけたくない。すべてに丸をつけよ。とりあえずは、そこから始めるのだ。そこからやがて生まれて行く沢山のばつを、ぼくは、ゆっくりと選び取って行くのだ。

 そろそろ雛祭りが近づく朝、目が覚めると風邪をひいていた。学校を休んだら、クラスメイトの田嶋が見舞いに来た。見舞いなんてめずらしい。何かあったのかと尋ねると、今朝、同じクラスの片山が自宅のマンションから飛び降りて自殺したのだという。仲が良かったというわけでもないが、去年の夏頃、ぼくと田嶋は、何かのきっかけで、片山と話をするようになった。

 片山は物知りで、よくいろんなことを考えているやつだった。彼は、人間は25時間を1日の周期として生きる動物であって、24時間との1時間の時差を、ほかのみんなは自然に調節することができるが、彼はそれが出来ないのだといった。時差ぼけは、自然に治るもの。でも、他人との生活に合わせようとすると、それはしんどいもの。片山は、一生分の時差ぼけを清算してしまいたかったのだろうか。

 病み上がりの朝、登校途中、つい反対方向の電車に乗ってしまった。のどかな景色、暖かい車内。眠るのに、これ程気持のよい場所はないだろう。ふと片山を思い出した。ここで寝てりゃよかったのに。1時間くらい、あっという間じゃないか。こんなふうに、ぼんやり電車に乗って、春が来たと思うような時間を、片山も過ごすことができていたら。彼は自殺しなかったかもしれない。ぼくはいつの間にか泣いていた。

ぼくは勉強ができない/山田詠美の読書感想文

 時田秀美の日常には、特別なことは起こらない。というよりも、事件は起こっているのだけれど、秀美が達観しているので、大事のように描かれない。ただ淡々と、ひとつひとつの感情が細やかに語られていく。感じたことがあるけれども言葉にはできなかった感覚が、豊かな感性で、丁寧に文章に表わされていく。秀美に共感できる読者は、うんうん、わかると頷きながらページをめくる手が止まらないことだろう。

 秀美が「普通」を、「人の目を気にしながら生きる人々」を憎むようになった理由は、その子供時代にある。彼は母子家庭で育ち、父親の顔も知らない。周囲は彼のことを可哀相で不幸な子供と扱い、特別視した。たしかに、少し特殊な家庭環境に育った彼は人と違った価値観を持っているが、それを不幸だとは思っていない。むしろ彼は日常のささやかなことにも幸せを見出し、楽しく毎日を送っている。

 私の家も母がいなかったので、秀美の疎外感がわかる。みんなにとっての当たり前が当たり前でないからこそ、日常の小さなことに幸せを感じられる気持ちも、わかる。そして、彼の物語を読んでいくうち、弟が、ある時ふと「小さい頃から学校で怒られてばっかりいたから、ああ自分はダメな子なんだなーって思ってた」と言ったことを思い出した。

 母が入院していたり、亡くなった頃、弟はまだ小学生で、私も中高生だったから、弟の学校の面倒までちゃんと見てやれなかった。父は高齢だったので、親のサインがいる弟の提出物なんかをよく失くして、弟は「明日出さなきゃいけないのに」と泣いていた気がする。弟が失くしたわけではなくても、提出物が出せなくて学校で怒られていたかもしれない。きっと普通の家なら親が把握しておいてくれる提出期限や、学校行事に必要な物、そこまで面倒を見てやれなかった。授業参観も卒業式も、行ってやれなかった。弟は、いろんな場面で「普通の子」ではいられなかっただろう。

 先生や友達にも、自分で事情なんか説明できなかったかもしれない。説明したって、分かってもらえなかったかもしれない。分かっていても、先生たちだって、他の生徒のいる手前、特別扱いもできなかったかもしれない。きちんと面倒を見てやれなくて、可哀相なことをしたと思う。でも、だからといって、その時面倒を見てやれたかといえば、やっぱり、そこまでしてあげられなかっただろうと思う。

 考えてみれば、小学校の教室で、いつも宿題を忘れていたあの子も、ズボンの裾がほつれていたあの子も。何か、本人にはどうしようもない事情があったかもしれない。けれど、私もみんなも、そんなひとりひとりの事情なんか知らずに、ただ「普通」と照らし合わせて、「あの子は出来ない子なんだ」、「だらしない子なんだ」って、言ったかもしれないし、心の中で思っていたかもしれない。自分はあんな子にならないように。はみ出ないように。「普通」でいられるようにと。

 親がいないというのは分かりやすいが、そこまで極端じゃなくても、その家その家の状況や、それぞれの辿ってきた道、事情なんかあるだろう。みんなと同じになれないことも、違和感を覚えることもあるだろう。極端な事情が無いからこそ、十分な理由が無いからこそ、他人に分かってもらえないこともあるだろう。「普通の子」だって大変だ。普通の枠に入っていたって、そこからちょっとでもはみ出ないように、いつも神経質に周りを見て、足並みを揃えるエネルギーだって相当のものだ。

 秀美のいうように、事実は事実。仕方ないことだし、そこから生み出される良いことも、悪いこともある。それ自体は受け入れていけるけど、やっぱり、みんなと状況が違えば、みんなと同じにはなれない。事情があってできないことを、「普通と違う」という理由で非難されることのほうが、よっぽどつらい。だって、そうしかできないから、そうなんだから。他人のことなんか、放っておけばいいじゃないか、そんな秀美の考え方に共感する。みんな、いろんな事情がある中で、一生懸命生きているんだから。もしその人が助けを必要としていたら、その時だけ手を差し伸べたらいい。

 「ぼくは勉強ができない」という物語で、主人公の秀美は、「普通の価値観」が生み出す違和感を、もやもやを、ひとつずつクリアにしていく。そして、鋭い視点とハッキリとした口調で、「それはおかしい」と言ってくれる。すべてに丸を付けてくれる。

 もしあなたが、「普通であること」に息苦しさを感じているなら、ぜひこの本を読んでみてほしい。そして、もう疲れたと感じた朝には、思い切って、いつもと反対の電車に乗ってみよう。大丈夫、全部、なんとかなるから、そう思える作品だった。(みゅう https://twitter.com/rekanoshuto13



ミニシアター通信(TOP)



PR




運営者

株式会社ミニシアター通信

〒144-0035
東京都大田区南蒲田2-14-16-202
TEL.03-5710-1903
FAX.03-4496-4960
→詳細(問い合わせ) 





ミニシアター通信(TOP)