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ヴィヨンの妻/太宰治のあらすじと読書感想文

2017年5月31日 0時10分 参照回数:

ヴィヨンの妻/太宰治のあらすじ


 詩人で遊び人の大谷という男の妻の視点で語られる物語。

夫の大谷と病弱な息子と共に、妻は小金井のボロ家に貧しく暮らしていたが、遊び人の夫は殆ど家に帰ってこない。ある晩遅くに慌ただしく帰ってくる夫を、中野で小料理屋を営む初老の夫婦が追いかけてきて、玄関で金を返すよう言い争いをし始めた。夫は事もあろうに刃物を取り出しその場を逃げて行く。

 夫婦の話によると、大谷は小料理屋で、始めこそ大金を払ったが、金を払ったのはそれきりで、3年もの間金を払わず飲み続けてきた。口が上手くどこか品の良さがあるため、大谷の代わりに金を払う人も度々いたので見逃されてきたようだ。しかし、今日は料理屋に上がり込み、仕入れのために置いてあった大金を盗んでいったため、さすがに追ってきたのだと言う。

 妻はとりあえずその場を治めるために金の都合ができたと嘘をついて、料理屋で手伝いを始めることになった。やがて店に帽子を目深にかぶった夫が、女を連れてやってくる。どうやら、金遣いが荒い大谷をバーのママが不審がって話を聞き、いまこうして夫の代わりに金を立て替えにやってきたらしい。とりあえず解決したものの、残りの金を返すべく妻はその後も料理屋で働くことになる。店では「さっちゃん」と客からも評判で、夫も時折店に寄っては閉店までいて一緒に帰ることもあり、妻は前より楽しく生き生きした生活を送るようになる。

 そんなある日、店にやってきた大谷のファンだという若い男が終電を逃したと言うので、妻は小金井のぼろ家に泊めてやり、そして一夜を共にする。

 翌朝妻が店へ行くと、夫が酒を飲みつつ新聞を読んでいた。そして夫は、「僕は今だから言うけれども、去年の暮にね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです。」と調子の良い嘘をつく。妻は格別うれしくもなく、「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。」と言ったのだった。

ヴィヨンの妻/太宰治の読書感想文


 「ヴィヨンの妻」は、1947年に太宰が38歳の時に発表された晩年の名作の一つで、当時は三鷹に太宰の自宅があったため、中野や小金井、井之頭公園、など三鷹周辺が中心に描かれているようだ。

 内容としては、どうしようもない駄目男に振り回される妻の生活について語られた、暗い印象の話に思われるかもしれないが、実際に読んでみると妻がだんだんと強い女性に変化していく様子が描かれており、女のたくましさに頼もしさを感じる作品となっている。妻の成長過程にスポットをあててみよう。

 まず初めの場面では、妻は弱い女性として描かれていた。

 妻は夫に対して「おかえりなさいまし。ごはんは、おすみですか?お戸棚に、おむすびがございますけど」と丁寧語を使っている。妻は夫の遊び人である一面には目をつぶり、夫を立て、夫がいなくては生きて行けない、と考えて我慢をしながら生きているようである。また小料理屋の夫婦に夫のことを話す際には、言葉がつまり落涙してしまう。これまで夫の自由奔放ぶりは見ないようにしてきたが、実際に人に話してみたことで改めて夫が酷い男であると理解し、耐えきれずに落涙してしまったのであろう。

 夫のおかげで生きていると考え全てを我慢する妻の様子は、昔ながらの夫婦関係であり、現代でもその考えは根強く残っているだろう。この時、妻は経済面でも精神面でも非常に弱く、夫だけを頼りに生きているのである。

 少し妻に変化が見られたのが、小料理屋の亭主から夫の話を聞いた場面である。

 「私は、噴き出しました。理由のわからない可笑しさが、ひょいとこみ上げて来たのです。」と、夫の生き様に呆れて笑いが込み上げてくる妻が描写されていた。夫の被害に遭った人の話を聞くことで、夫の駄目男ぶりを第三者として認識することができている。妻は夫に期待するのを辞め、また他者と関わりを持つことで、少し精神面が強くなったように感じる場面であった。

 妻が大きく変わっていくのが、小料理屋で働き始めてからである。

 客からは「さっちゃん」と呼ばれ可愛がられ、また客からの下卑た冗談には同じく下卑た受け答えをする、店で明るく立ち振る舞う妻が描写されている。

 「客あしらいは決して下手ではなかったのだから、これからあの中野のお店できっと巧く立ちまわれるに違いない。現に今夜だって私は、チップを五百円ちかくもらったのだもの。」と妻は1日働いたことを回想している。夫の借金を返済するべく店にいるとはいえ、客からチップを貰うことで、経済面でも夫の必要を感じなくなっている。

 しかし、そのことで夫に愛想を尽かしたのかといえば、決してそうではない。家でいつ帰ってくるかも分からない夫を待つ苦労から解き放たれ、時折店に来ては一緒に帰ろうという夫に対して可愛さや楽しさを見出しているのだ。妻は夫に「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ」と一緒に帰る途中で言っている。この時はもう夫に対して、初めの場面のような丁寧語は使わず砕けた話し方をしているのも、注目すべき点である。夫との関係性が大きく変わり、妻が自立してきたことがよく分かる。

 そして最後の妻の変化は、他の男と一晩ともに過ごした後である。

 翌日店へ行った妻は、次のように語っている。

「中野のお店の土間で、夫が、酒のはいったコップをテーブルの上に置いて、ひとりで新聞を読んでいました。コップに午前の陽の光が当って、きれいだと思いました。」

 これまで、夫を駄目男へと変えてしまう酒を、妻は自分達夫婦の天敵とも考えていたかもしれない。しかし妻はここで、酒の入ったコップがきれいだと思う。これは大きな心情の変化ではないだろうか。妻は自分の清純さを下げて夫の世界を見ることで、夫のこれまでの行いに対して悲しむことを辞めたように感じた。また、夫が金を盗んだことについて、家族を喜ばせたかったと調子のいい嘘をついたシーンでは、それに対して妻は格別うれしくもなく、「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」と夫に応えて話は終わる。

 居酒屋でちやほやされる、他の男と寝る、そんなことで悲しみを紛らわすなんて、虚しいだけだ、間違っている、と考える方も多いだろう。確かにその通りかもしれない。本作でも、夫の言葉に対して妻の「格段嬉しくもなく」という表現があり、虚しさもあるのは事実だ。

 しかし一般的に非難されるやり方であったとしても、自分が楽に、楽しく生きていける方法を模索し実行できる女性は、やはり格好良いと思うのだ。何かに失敗したとき、悲しさに暮れて周囲の人からの助けを待つだけの人間は、きっと与えられた楽しみしか得られない人生だ。それこそ虚しくはないだろうか。何かに頼って生きていくのではなく、自分で考えて楽しさを生み出す、ヴィヨンの妻の生き様に私はとても好感を抱いた。(ミーナ)



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